兵レタ来
ムマ止シテチ撃
リ有ニ道尿ハ石結畜鬼キ憎
開戰である。
本戰闘詳報は痛みに対する表現を多大に含有する為、其の事を承知した上で披見されたし。
我が軍の激痛激戦時間帯は、手術当日の施術後と予想されていた。
然し、前哨戰が手術前日に發生。
【右脇腹前哨戰】
手術前日の一四〇〇迄に病院に入らねば成らぬ処、右腎臓が敵軍部隊の奇襲攻撃を受け自宅より移動が困難と成る。
此処に明日の手術で殲滅される右尿管に位置する敵部隊による最後の屈強な抵抗を見た。
小康状態の隙を見て一五〇〇に入院。
病室に到着し、寝巻きに着替え腹部X線撮影に向かう。
撮影後、痛み止めを処方した上で安靜状態と成る。
一八〇〇、初の病院食が支給されるも、其の量の少なさと味の淡白さに落胆す。
翌日〇八四五、愈愈主治醫が我の病室を来訪。
手術着へと衣服を着替える。
来客用と異なる白基調の無機質なエレベーター、廊下を移動。より一層の緊張感が張り詰める。
手術室の前にて、最後の姓名生年月日及び本日の施術内容の確認を実施。
主治医、助手、麻酔科看護師、6〜7名と手術室に入室。
〇九〇〇、手術台へ仰向けの状態で横に成る。
【第一次穿刺会戦】
先ず、左腕への穿刺部分を探すも、担当看護師が血管の発見に失敗し、止むを得ず左手の甲より穿刺す。
此の痛みが本日の初撃である。
此処に第一次入院大戦が開戦。
痛み止めの注入開始。
次に、麻酔薬を入れると宣告後、直ぐに視界が揺ら々々と歪み酩酊状態に陥る。
最早、聲を出す事すら出来ず、遂に意識が途絶える。
施術の記憶は皆無。
一一〇〇に目覚め、意識を確認後、元の病室へ搬送される。
此れより、第一次入院大戦に於ける諸戰闘の中で最激痛の大激戰が展開される事と成る。
【カテーテル会戦】
全身麻酔中は自然排泄が不可能な為、尿管に尿道カテーテルを挿入す。
全身麻酔から目覚め、意識や感覚が元に戻ると、尿管カテーテルが挿入されたる部分に激痛が走り出す。
徐々に感覚が過敏に成り、僅かに兩脚を動かし、股間に力を入れるのみで挿入部分に猛烈な激痛が走る。
予定ではカテーテル除去は翌日だが、此の痛みを伴い乍ら一晩を越せるとは到底思えず。
尋常無き痛みであるが故に、早期除去を担当看護師に申し出る。
看護師曰く、本日夕刻の主治醫回診時に其の旨を打診してみるとの事に成る。
一四〇〇、カテーテルに身体が馴染み、又、痛み自体に慣れた為、僅かに気持ちに余裕が出来る。然し、依然として少しでも油断し、少し大きく身体を動かしたり力を入れようものならば再び挿入部分に激痛が走る。
意識が戻って此処迄の三時間は、一瞬足りとも気が抜けぬ状態が繼續す。
一七三〇、主治醫の回診時にカテーテル除去を依頼。許可が下りたので、安堵するも次は除去の際の激痛戰闘が待ち受ける。
一八〇〇、カテーテル除去の為、看護師が来訪。
【カテーテル撃退戦】
遂にカテーテルを引抜く。
挿入部位が体内で動くのを痛覚で感じつつ、只々痛みに耐えるのみである。
カテーテルの先端が膀胱、尿道の根本、尿道の先端と移動して来るのが真っ直ぐに伝わり、脂汗が全身から噴出す。
恰も、棒取り付けられた熱いビー玉が尿道を驅け巡る様である。
カテーテルが除去された後は暫く鮮血が流れ、抉られる様な痛みは、痺れる様な痛みへと徐々に変わり次第に弱く成る。
寝具の上であれば多少身体を動かせる様に成るも、常に点滴針が左手の甲に穿刺状態にある為鈍痛が有り、動きにも大きな制限が掛かる。
更に、施術時新たに体内にステント(膀胱と腎臓に掛けて入れておく棒状の医療器具)を入れたので、引き續き股間にも鈍痛が襲来す。
カテーテル部隊を撃退したのは良いものの、戦局は必ずしも好転せず。
敵軍は猛攻の手を緩めず。
此処で新手の敵が出現す。
戦場には休息が全く無いのである。
【自然排泄夜戦】
カテーテル部隊を撃退次第、今度は我が軍から排泄という攻勢を仕掛けて行かねば成らない。
此の日の夜戦は、敵カテーテル部隊によって損害を与えられた我が軍の尿道から、自力で血尿を排出するのである。
此の日は主治醫から出歩きを禁じられているので、便所迄行く事は出来ない。
それ故に尿瓶への排泄をする以外の方法が無い。
特に此の排泄夜戦の第一撃目が途轍も無い激痛を伴うのである。
然も、此の第一撃目の時機を決めるのは外部からの刺激では無く、己の覚悟と決断が一致した瞬間なのである。
自らの判断で絶対的な激痛を伴う最前線を踏む瞬間は、正に相当の覚悟が必要なのである。
此の第一撃目を敢行する夜襲斬り込み部隊を前線に投入する迄には尿瓶を片手に十五分程、躊躇した。
然し、いずれは攻勢に転じなければ成らない。
僅かでも早く自然排泄を出来る様にする為、主治醫に一刻も早いカテーテル除去を頼んだのでは無いのか。
カテーテル部隊撃退の為に友軍が流して行った血はどうなる。
此の儘、最前線で踵を返す様な無様な姿を決死の覚悟で突破口を切り開き散って逝った友軍に見せられるのか。
敵弾に斃れる戰友が最後に朗らに笑って俺の屍を越えて行けと言ったのを忘れたのか。
そんな事では戰友に申し訳が立たん。
遂に尿瓶に用を足すのであった。
其れは恰も尿道から剃刀を捻り出す様な痛みであり、思わず呻き声を上げた。
相当尿道の栓を閉め、勢いを殺して排泄する積りだったが、其れでも第一撃目の痛みは想像を遥かに凌駕した。
最早、何の液体かも分からない様な色の尿が尿瓶に溜まり、数分の痛みが繼續す。
続く第二撃目以降の後続部隊も、斬り込み部隊程では無いものの、少なく無い損害を受けた。
然し、攻勢をかける度、時間が経つに連れ徐々に排泄時の痛みも無くなって来た。
何とか満足な量の排泄も出来る様に成り、漸く淺く短い睡眠を取る事が出来たのだ。
暫くして、病室の明かりで目が覚めた。
もう朝が来た。
点滴も無くなっている。
此れが無くなればもう点滴の必要は無く針も抜かれる。
カテーテル部隊も撃滅。
今日から自力で便所に行き排泄も出来る。
明日退院の確約を得た。
未だに尿道には、敵残存部隊が潜伏しており排泄時に痛みは有るものの、耐えられる程度には成った。
明らかに戰闘は我が軍優勢で終結に向かっている。
今日は手痛い攻撃を受ける事はもう無いだろう。
我は完全に油断していた。
【第ニ次穿刺会戦】
我が耳を疑った。
此の朝、看護師が採血をする言って来たのである。
何と此処に伏兵が潜んでいたのであった。
左手の甲へ穿刺してある針から其の儘採血をする訳には行かないのだろうか。
どうやら其の選択肢は無い様で無慈悲に先ず針が抜かれた。
看護師は我が軍への攻撃箇所を入念に探している。
左腕は我が軍の守備が固く、看護師は諦めて右腕への穿刺箇所を模索し始めた。
看護師は血管が見つから無いと不穏な事を言いつつ右腕への攻撃を開始した。
案の定、穿刺箇所からの採血は失敗。
如何やら攻撃目標の血管を完全に見失った様だ。
全く持って刺され損である。
看護師は次の攻撃目標を模索する。
【第三次穿刺会戦】
次の此の攻撃は意表を突かれた。
腕の血管が見当たらないとして、右脚首にバンドを結び始めたのだ。
脚に注射を打たれた事など生まれて此の方一度も無い。
右脚の至る所にアルコールガーゼを押し当て攻撃目標を模索している。
然し、此処でも攻撃目標の捕捉に失敗し穿刺する事は無く、此の戦線は両軍の睨み合いで終わった。
【第四次穿刺会戦】
結局一周して点滴針を穿刺していた左手の甲に戻って来た。
穿刺していた箇所から僅か数粍離れた処に再び穿刺したのである。
然も、穿刺してから血管を探す様に針を動かしていたので激痛であった。
後に聞いた話によると、その様な事は余程腕が悪い看護師で無ければ有り得ないとの事だ。
武運長久とは成らなかった。
その後は、安静に過ごし尿道の敵残存部隊の殲滅も大きく進行した。
此の日の朝から三十六時間振りに病院食を食べる事が出来た。
普通であれば、其れ程長時間断食をしていれば三十六時間振りに口にする料理は大層美味いであろう筈なのに、全くの無感動である。
ある意味その味に恐れ入った。
この戰闘詳報の殆どを此の日に記述したのであるが、其れでも時間が有り余る程である。
【停戦調印】
翌日、全ての敵軍の攻撃が終了した。
退院書という勝利宣言書類に調印をしたのである。
此れより、二週間程の自宅療養期間に入る。
二週間後に来たるべき決戦に備え、我が軍は一時の休暇に入る。
しっかり養生をして、第二次邀撃では完膚無きまでに敵軍を撃滅せんとす。
未だ、終戦ではない。
あくまで此れは、停戦なのだ。
以上
第一次入院大戦
戰闘詳報