Piakanaの日記

音大ピアノ科卒。クラシック、ポップス、ジャズさまざま弾いています。音楽の事、日常の事など不定期投稿していきます。YouTubeに動画投稿していますのでリンク欄からご覧下さい。

【YouTube動画投稿】Deutschlandlied

先に言っておきますと今回の記事は、妻に「今日のブログは書いてる後ろ姿で長くなる気がした」と言われました。どうぞ。

 

 

自国の国歌を知らない人は殆どいないと思います。

日本だったら『君が代』ですね。

戦後において、歌詞の解釈や国歌としての成り立ちには紆余曲折が有り、現在でもその点に関しては様々な意見がありますが、この記事ではそういった事は置いといて。

歌詞は『古今和歌集』に載っているもので、ひらがなでおこすと全32文字と国歌としては世界最短の1つです。

恐らく多くの日本人は歌詞を見ないでも言えると思います。

 

では作曲者は?

と聞かれたら、多くの人は答えられないと思います。

かく言う僕も、恥ずかしながらこの記事を書くに当たって調べないとわからないわけですが。

 

君が代の作曲者は林廣守(1831~1896)という幕末、明治期を生きた雅楽演奏者です。

ただし、雅楽調の旋律を作るに当たって他の宮内省雅楽局の人の手を拝借したり、その旋律だけだとなんか味気ないよねって事で、ドイツ人軍楽家F.エッケルト(1852~1916)に西洋的な和声をつけてもらったりと何人かの手によってブラッシュアップが成されています。

 

 

 

今日は、そんな国歌の作曲者についての記事なんですが。

 

世界のありとあらゆる国歌の中で、作曲者の知名度が一番高いのはドイツ国の作者ではないでしょうか。

 

ドイツ国『Deutschlandlied(ドイツの歌)』の作曲者はF.J.ハイドン(1732~1809)です。

 

「え?そうなん?」って思った方もいるかも知れません。

他の国の国歌の作曲者を言われても「?」となると思いますが、ハイドンと言われれば「あーなんか知ってるかも」くらいにはなるかと思います。

ですが、ハイドンを知っていても、ドイツ国歌の作曲者が彼だという事は、彼のネームバリューの割に認知されていない印象があります。

F.J.ハイドン(1732~1809)Wikipediaより。

多くの音楽室に絵が飾ってあるように古典派音楽時代を代表する有名な作曲家です。

音楽史で言えば、モーツァルト(1756~1791)やベートーヴェン(1770~1827)と同時代を生きた先輩。

 

 

今回は、この国歌の元となった曲や歌詞について書いていこうと思うんですが、

「おい!記事のタイトルに【YouTube動画投稿】って書いてあるだろ!御託はいいからさっさと動画貼れ!」

「動画だけで良いんだよ!お前の記事長いから早く動画出せ!タイトル詐欺がよぉ!」

「既に前置きが長ぇんだよ!」

って声が聞こえてきそうなので先に動画貼ります。

やめてください。物を投げないで下さい。

www.youtube.com

これが今回YouTubeに投稿したドイツ国歌です。

 

今日は初めて目次を作ってみました。

↓↓

 

①原曲と変遷

この曲は元々、1797年にハイドン神聖ローマ帝国のフランツ2世皇帝に捧げた『Gott erhalte Franz den Kaiser(神よ、皇帝フランツを守り給え)』という曲です。

フランツ2世皇帝(1768~1835)Wikipediaより。

この曲は神聖ローマ帝国オーストリア帝国オーストリア=ハンガリー帝国の国歌として受け継がれていきます。

時の皇帝に合わせて何度か歌詞の改変はありますが、基本的に皇帝万歳の歌詞です。

 

次にハイドン『Gott erhalte Franz den Kaiser(神よ、皇帝フランツを守り給え)』

の旋律を自身の弦楽四重奏曲第77番Op.76-3(HobⅢ-77)の第二楽章の主題として用いています。なのでこの作品は『皇帝』と呼ばれています。

www.youtube.com

第二楽章 7:01~

 

19世紀も半ばを迎えるとヨーロッパはウィーン体制の元、帝国が民族主義自由主義を厳しく弾圧していましたが、徐々にその力も弱くなり、市民勢力が台頭してきます。

それに伴い各地で同民族・同国民の結束が強くなり帝国への反体制勢力が力を増していきます。

オーストリア帝国も例外では無く、領地内に点在した39ヶ国のドイツ系諸国(ドイツ連合)に「王いらなくね?うざくね?俺らもフランス人みたいに革命起こして、ドイツ人によるドイツの為の国作っちゃおうぜFooooo!!」みたいな機運が高まってきます。

 

そして1848年。

市民勢力が「王いらねー!うぜー!もう自分らだけでやるわ!」と各地で革命を起こします。世界史とかでよく出てくる『1848年革命』というやつです。

ドイツ系諸国でも三月革命が起こります。

結果から言ってしまうと、革命側の意見の相違から上手く足並みがそろわず失敗に終わってしまうんですが、その市民勢力側のシンボルテーマの原型となったのが現在のドイツ国歌です。

 

「あれ?革命側なのに帝国の国歌と同じなの?」と思うかも知れませんが、勿論歌詞は全部変えてあります。革命側が皇帝万歳なんて言うわけないですからね。

旋律が使われ続けた理由は定かではありませんが、ハイドンの技術が余程卓越していたのでしょうか。

 

帝政であるドイツ帝国が崩壊し、1918年にヴァイマル共和国が樹立します。

そこで『Deutschlandlied(ドイツの歌)』が遂に国歌として正式に採用されました。

ハイドンオリジナルの物とは、歌詞と調性が異なります。

オリジナルはト長調(G-Dur)でドイツ国歌は変ホ長調(Es-Dur)です。

 

なお完全に余談なんですが、この旋律は賛美歌としても転用されています。

僕が昔、就活であるミッション系の男子校の採用試験を受けた時、この曲の譜面を渡されて、「面接官(教員)を生徒として模擬授業をして下さい。」と言われました。

僕はとっさの機転で男子校=サッカー好きのイメージだったので

「サッカー好きな人いますかー?これね実はサッカーが強い国の国歌でW杯とかで聞いたことあるよって人いるかも知れませんがわかりますか?」

この時点で面接官は「おっ、こいつよく知ってるな。それに男子生徒に対する授業の掴み完璧やん」という笑みを勝ち取ることが出来ました。

そこからハイドンに繋げて、少し音楽史を話して、歌う。与えられた10分間で最大限の戦果を上げられました。

まあ次のリコーダーの実技で全て水泡に帰したんですけどね\(^O^)/!!!

 

 

②歌詞

 

次は歌詞を見ていきましょう。

歌詞はホフマン・フォン・ファラースレーベン(1798~1874)という詩人が書いたものです。

ホフマン・フォン・ファラースレーベン(1798~1874)Wikipediaより。

歌詞は、全部で4番まであります。

しかし、現在のドイツで歌われているのは3番のみ

それは何故なのか。詳しく見ていきましょう。

なお4番はヴァイマル共和制の時に追加された物で、現在では特に知られていないので割愛します。ホフマンが作った物じゃないしね。

 

1.

Deutschland, Deutschland über alles,
Über alles in der Welt,
Wenn es stets zu Schutz und Trutze
Brüderlich zusammenhält.
Von der Maas bis an die Memel,
Von der Etsch bis an den Belt.
Deutschland, Deutschland über alles,
Über alles in der Welt!

(ドイツよ、ドイツよ、すべてのものの上にあれ
世界のすべてのものの上にあれ
護るにあたりて
兄弟のような団結があるならば
 マース川からメーメル川まで
ェチュ川からベルト海峡まで
ドイツよ、ドイツよ、すべてのものの上にあれ
この世のすべてのものの上にあれ)

 

2.

Deutsche Frauen, deutsche Treue,
Deutscher Wein und deutscher Sang
Sollen in der Welt behalten
Ihren alten schönen Klang,
Uns zu edler Tat begeistern
Unser ganzes Leben lang.
Deutsche Frauen, deutsche Treue,
Deutscher Wein und deutscher Sang!

(ドイツの女性、ドイツの忠誠、
ドイツのワイン、ドイツの歌は
古からの美しき響きを
この世に保って
我々を一生の間
高貴な行いへと奮い立たせねばならぬ
ドイツの女性よ、ドイツの忠誠よ、
ドイツのワインよ、ドイツの歌よ)

 

3.

Einigkeit und Recht und Freiheit
Für das deutsche Vaterland!
Danach lasst uns alle streben
Brüderlich mit Herz und Hand!
Einigkeit und Recht und Freiheit
Sind des Glückes Unterpfand.
Blüh' im Glanze dieses Glückes,
Blühe, deutsches Vaterland!

(統一と正義と自由を
父なる祖国ドイツの為に
それを求めて我らは皆で兄弟の如く
心と手を携えて努力しようではないか
統一と正義と自由は
幸福の証である
その幸福の輝きの中で栄えよ
栄えよ、父なる祖国ドイツ)

 

※歌詞と和訳はWikipediaから引っ張ってきてます。

 

さて、何故1番と2番が現在のドイツでは歌われないのか。

まず1番

 

理由は簡単です。

歌詞の内容的に、ナチスドイツが1番のみを国歌としたからです。

Deutschland, Deutschland über alles,
Über alles in der Welt,

直訳すると『ドイツは全世界の上に有るのである!』

このフレーズだけでもチョビ髭総統が大興奮しそうな内容ですが、国際化が進み、ましてやEUなんかも発足している現代にこれはちょっと相応しくありません。

更に後半の

Von der Maas bis an die Memel,
Von der Etsch bis an den Belt.

『マース川からメーメル川まで
エチュ川からベルト海峡まで』

現在のドイツと異なる国境が歌われています。それぞれヴァイマル共和制の東西南北の先端ですね

今のドイツはもっと狭いです。

が現在のドイツの国境線。

水色マース川。ご覧の通りオランダ、ベルギー、フランスを流れており、ドイツ領内には入っていません。

ドイツの北はベルト海峡にぶつかるので歌詞の通りです。

地図のチョイスを間違えました。

最東端と最南端が入りきってない。

でもせっかく描いたから国境線と川を描いたから載せます。

最東端のメーメル川とは今のリトアニアにあります。

最南端のエチュ川とは今のイタリアにあります。

一時的にドイツ領土であった時期があった為、特にナチの時代に盛んに歌われました。

現在のドイツでナチ関連は厳しくNGですし、単純に国歌の中で他国の領土を我が物として歌うのはまずいので今は歌われていません。

今ドイツで歌ったら間違いなくネオナチ認定されます。

 

 

次に2番

 

これはね。見て頂ければわかると思うんですけど、軽いんですよ。

ドイツの歴史や文化が書かれているのは良いんですけど

Deutsche Frauen(女性), deutsche Treue(忠誠),
Deutscher Wein(ワイン) und deutscher Sang(歌)

国歌の中に、ワインだの女だの歌だの入れるのは俗過ぎないかって事で歌われていないんですね。

しかも、それらが

Uns zu edler Tat begeistern
Unser ganzes Leben lang.

『我々に一生、高貴な行いを奮い立たせる』とか言っちゃってるもんだから今ならジェンダー的にもどうなの?って批判されちゃいますね。

 

 

そして現在国歌として歌われている3番

現代のドイツで歌われても角が立たない内容ですね。

Einigkeit und Recht und Freiheit
Für das deutsche Vaterland!
Danach lasst uns alle streben
Brüderlich mit Herz und Hand!
Einigkeit und Recht und Freiheit
Sind des Glückes Unterpfand.
Blüh' im Glanze dieses Glückes,
Blühe, deutsches Vaterland!

(統一と正義と自由を
父なる祖国ドイツの為に
それを求めて我らは皆で兄弟の如く
心と手を携えて努力しようではないか
統一と正義と自由は
幸福の証である
その幸福の輝きの中で栄えよ
栄えよ、父なる祖国ドイツ)

Wikipediaより。

すごく国歌らしい。

旋律も相まってとてもかっこいいと思います。

 

僕は政治的見解を抜きにして、日本の国歌も東洋的、異色を放つ旋律という意味で好きですが、こういう堂々とした勇ましい国歌も良いものですね。

 

 

さいごに

今日はドイツ国歌の事について書いたわけですが…

 

僕は音大生時代にドイツ音楽を中心にピアノや文化藝術史を学んでいました。

そもそも藝術以外でもドイツの歴史や言葉が好きだったし、師匠がコテコテのドイツ音楽派でしたから、より一層ドイツが好きになっていったんだと思います

「ぴあかな君のピアノはドイツ系だよね」と周りから言われる程。自覚は無いですが。

 

おかげで藝大のお偉い教授(ドイツ音楽専門)がうちの大学に来て公開レッスンするってなった時、僕に白羽の矢が立ったんですよ。マジ被検体。

これがめちゃんこ怖くて。昭和パワハラ全開のおじいちゃん。

多くのピアノ科学生を前にして僕がレッスンを受ける公開レッスンならぬ公開処刑です。しかも当時、僕の手札にあったのはブラームスの小品。なんで相手のドイツという土俵に合わせちゃったかなー。

 

僕の前に、同級生のピアノ科の子がドビュッシーで公開レッスンを受けていました。

先生も「うんうん。まあフランスものだからね。そうだね。そんな感じで音をひとつずつぼんやりさせて印象派の絵画のようにしてこうね」とか笑顔で言ってたんですけど、僕がブラームスを弾き始めたら1音目から「それちゃうやろぉ!ドイツはもっとこうやぁ!」と何度も最初の一小節だけ弾き直させられる地獄。

あれ?ここここここここは強制収容所かな?と錯覚してしまいそうな程、僕はモルモットとして恐ろしい時間を過ごしたわけです。

 

話は逸れましたが、僕はドイツが好きって言う話。

大学院を出た後も少しだけ大学に籍を置いて、ブラームスに関する論文なんかを偉そうに執筆させて貰ったことなんかもあります。無謀にも独検に挑んだりしたり…

YouTubeにもそのうちドイツ音楽の作品もあげていきたいと思うんですが、好きな分、難しいやらこだわりやら録音機材をどうしようかで中々出せません。

体調が良くなったら、もう少しドイツ音楽に目を向け直してみようかと思います。

今回の記事もドイツについてまだまだ書きたい事はたくさんあるのですが、6000字を超えたのでこのあたりで打ち止めにしたいと思います。

 

そろそろ股間が痛くなってくるので終わりっ!!