前回のジオラマ関連の記事が好評でございました。
ですので今回は、前回とは全く異なる模型製作の記事を書いてみたいと思います。
今回選んだ模型がこちら
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模型以外に色々書きたい事があるんですが、長くなってしまうのでまたいくつかに章を分けますね。
駆逐艦『電』について
そもそも駆逐艦とはなんぞや。
簡単に説明すると、速力の速い小型の軍艦です。
その速さを活かして、魚雷を主として敵に攻撃を仕掛けます。
他にも何かと便利でして、艦隊護衛、船団護衛、防空、偵察、対潜水艦哨戒等あらゆる任務に使用された正に縁の下の力持ち。
駆逐艦の中でも○○型とか××型とかあるんですけど、『電』は24隻も建造された吹雪型駆逐艦(特型駆逐艦)の中の1隻です。
『電』は吹雪型駆逐艦の4番艦として1930年(昭和5年)3月に起工。1932年(昭和7年)11月に完成しています。
駆逐艦の模型を作ってみると毎回思うんですが、やっぱり小さい。
あまりピンとこないよって方は、タイタニック号(全長269m)の半分以下。
まだピンとこないよって方は、JRの在来線の1両が全長約20mですから6両編成の電車をイメージして頂ければわかりやすいんじゃないかと思います。
『電』の最大幅は10.36m。
一般的に学校で使用されている25mプールの横幅が12.5mだそうなので、それよりも幅は狭いです。
『電』の最大速力は38kt(38ノット=時速約70㎞/h)
さすが、快速の駆逐艦と言ったところですね。
『電』は太平洋戦争開戦時から、東南アジア、アリューシャン列島、中部太平洋と幅広い戦線を駆け巡ります。
性能の話はこれくらいにして、今回『電』を選んだ理由は何か。
正直、量産されていた駆逐艦は結構どれも似たり寄ったり。
興味ない方からしたら、どれもあまり変わらないよねっていう印象を持つかと思います。
各艦の特徴が顕著に出る大型艦ならまだわかりやすいのですが、僕が見ても小型艦は区別が出来ない!
じゃあどうして『電』を選んだのって話になると、正解は『電』の持つエピソードにあります。
スラバヤ沖海戦
就役したのは1932年の11月15日。
そして、『電』より3ヶ月早い1932年の8月15日に就役した姉妹艦に『雷(いかづち)』という吹雪型駆逐艦の3番艦があります。
『電(いなづま)』と『雷(いかづち)』
ちょっとややこしいですね(^_^;)笑
この2隻はほぼ同時期に就役した同型艦という事もあり、多くの行動を共にしています。
数多くある駆逐艦ですが、この2隻が取り分け有名になったエピソードがあります。
1942年の2月末。
まだ太平洋戦争が開戦して間もない頃、日本海軍はインドネシアのジャワ島を攻略する為に艦隊を派遣します。
当時の日本は、連合国のABCD包囲網(A=アメリカ B=イギリス C=中国 D=オランダ)による経済的制裁を受けており、東南アジアの大部分が連合国の支配下にある中に艦隊を派遣するという事は、それ即ち戦いが起きる事を意味していました。
「この野郎!極東の黄色い猿め!白人様をなめやがって!」と、連合国は日本海軍の侵攻を阻止する為に多国籍艦隊を結成します。
これはABDA艦隊(A=アメリカ B=イギリス D=オランダ A=オーストラリア)なんて呼ばれています。
多国籍艦隊と聞けば強そうな印象を受けますが、実際はただ数を揃えただけの烏合の衆。
共同訓練もなく、指揮系統も弱く足並みが壊滅的に揃わなかったようです。
多国籍軍は何とか船を集めて15隻(巡洋艦5隻、駆逐艦10隻)。
艦船数ではほぼ互角でしたが、十分に訓練された日本海軍と寄せ集めの多国籍軍では戦力の差は歴然。
砲撃戦や魚雷戦が終わってみれば、多国籍軍の被害は巡洋艦2隻、駆逐艦5隻の計7隻が撃沈。
それに対して、日本海軍の被害は駆逐艦1隻が損傷したのみでした。
後にこの戦いはスラバヤ沖海戦と呼ばれる事になります。
その時の『電』がとった行動が後世に語り継がれる事になります。
海戦の勝敗がほぼ明らかになった3月1日、イギリス海軍の巡洋艦『エクセター』が『電』含む複数の日本海軍艦艇の攻撃を受けて遂に沈没します。
『エクセター』が沈没する時に『電』の艦内には「沈み行く敵艦に敬礼」の号令が下されます。
敵国とはいえ立派に戦った相手に対して敬意を表する姿勢は正に天晴れ。
しかし『電』の凄い所はそれだけではありません。
沈み行くエクセターから次々と乗員が海に投げ出されていくのを見て『電』の艦長、竹内少佐は
「海上ヲ救助セヨ」
と、部下に命令を出します。
上からの命令があれば従うのが軍隊の鉄則ですが、竹内少佐のこの迅速な判断はもしかしたら、状況を見た上での独断だったのかもしれません。
司令部からの命令を受ける前に、竹内少佐の方から司令部に救助の許可を仰いだという話も残っています。
その辺の流れははっきり分かりませんでしたが、とにかくこの竹内少佐という人は敵味方関係なく人命を重視していたという事がわかります。
この命令により『電』の乗員は、『エクセター』から出てきた救命ボートや、救命胴衣を着けた海上の漂流者を次々と収容していきます。
『電』の甲板に引き上げられたイギリス兵には、食べ物や温かい飲み物が支給されます。
『電』の乗員は大体200名ちょっと。
それに対して救出したイギリス兵の人数はなんと376名!
自艦の乗員より多い敵兵を救出するなんてまず考えられない事です。
そして姉妹艦の『雷』も翌3月2日に『電』同じような救出活動を行っています。
戦いが行われた海域では、イギリス海軍の巡洋艦『エクセター』とイギリス海軍の駆逐艦『エンカウンター』、アメリカ海軍の駆逐艦『ポープ』の乗員の多くがまだ漂流していました。
一旦敵味方の船は海域から離脱してしまい、果たして自分たちはいつ救助されるのか。
そもそも味方の船は救助に来るのだろか。
海上に現れた船が味方ではなく日本海軍の船だったら自分達は殺されるだろう。
と、不安に苛まれます。
船から漏れ出した重油まみれの海水。徐々に奪われていく体力。そしてサメが泳ぎ回る海域。泳いで到達できる陸地もない。
漂流者の誰もが生きた心地がしなかったと思います。
そんな中、漂流者達は遠方に1隻の軍艦のシルエットを見つけます。
最初は救助が来たと喜んだようですが、実はその船は日本海軍の駆逐艦『雷』でした。
船に掲げられた日章旗が見えるようになると、さっきまで喜んでいた漂流者達は一転、恐怖に変わります。
「野蛮なジャップが俺らを射殺しに戻ってきたんだ!」と、漂流者達はパニック状態に陥ります。
一方で『雷』も多くの漂流者を発見しており、艦内ではどのように対処するべきか検討がされました。
救出活動をするという事は、船を完全に停止させるという事。
味方の船がいれば周囲を警戒する船と救助にあたる船に分ければいいんですが、如何せんこの時の『雷』は単艦行動中。
海戦に勝ったとはいえ、まだ完全に味方の手中に収まっていない海域で単艦停止をさせる事はとても危険な行動でした。
敵飛行機や潜水艦からしたら止まっている船ほど良い的はないですからね。
しかし『雷』の艦長、工藤少佐は船を停止させて乗員に漂流者の救出を指示します。
この工藤少佐。
鉄拳制裁が当たり前だった日本海軍において、自分が担当する船ではそういった行為は厳禁にして、部下には分け隔て無く接していました。
非常に大らかで優しい人格者であり『工藤大仏』と呼ばれていたようです。
彼がわざわざ危険海域で船を停止させて部下に救助活動を命令したのは、そんな人柄だったからかもしれません。
最初は怯えていた漂流者達も、日本側が自分らを救助する気があると分かると泳いで『雷』に集まってきます。
しかし、丸1日以上漂流していた人達に『雷』に乗船できる力は残っていませんでした。
特にケガを負って漂流していた人は次々に海中に沈んでいきました。
これでは『雷』から投げられたロープや浮き輪を使っても全員助けられない。と、見かねた『雷』の乗員がロープを腰に巻いて海に飛び込みます。
直接漂流者を助けに行ったのです。
1人の乗員が海に入ると、他の乗員も同じように飛び込んでいき救助活動を始めました。
こうなると最早敵味方なんて関係ないですね。
約3時間にわたる救助活動で『雷』が救出した漂流者はなんと422名!
『雷』の乗員の2倍ほどの人数を救い出す事に成功しました。
工藤少佐は収容した漂流者に向けて「あなた方は日本海軍の名誉ある賓客です。非常に勇敢に戦いましたし、それは尊敬に値します。」と英語でスピーチをして歓声が上がったそうです。
戦争というと殺伐としたエピソードが多く、特に太平洋戦争は神風特別攻撃隊や本土空襲といった暗くて重い話が多いですが、本国から遠い地で戦争をしている緒戦はまだ余裕があったのか軍人精神を貫いた良いエピソードが残っています。
戦争も後半に差し掛かるとこういった良いエピソードが無くなってくるのはやはり余裕が無くなってくるからなんでしょうね。
戦争が長期化すればする程、連合国側も枢軸国側もどんどん非道な事をやっていくようになりますからね。
特に日本もドイツもそうですが、本国が直接戦争の被害に晒されるようになるとおよそ人間とは思えないとんでもない作戦行動に出てしまう事もあります。
まだ戦場に軍人らしい人情が残っているうちに戦争終わらせられなかったのかね。
まあそもそもそんな事を言い出したら100パー負けると分かってた戦争を始めた時点で大日本帝国さんどーなの?って話なんですけどね。
戦争は始めるのは簡単だが終わらせるのは大変とは良く言ったものです。
模型製作
さてさて、毎回の事ながら前置きが長くなってしまいましたが、ここから『電』の模型製作について書いていきます。
『電』を選んだ理由はスラバヤ沖海戦での敵兵救出エピソードが好きだからです。
飛ばして来ちゃった人は上の所を読んでみて下さいね。
冒頭で載せた模型の中身を出していきます。
今回はヤマシタホビーというメーカーが出している模型です。
このメーカーの模型は初めて作ります。
タミヤとかに比べて全く大手メーカーではないですが、非常に細かいディテールで精巧な模型を出しています。その分難易度は高いですが…
ご覧の通りものすごく部品数が多い。
今回もエアブラシの準備と後片付けが面倒くさいので、筆塗り塗装で進めていきます。
まずは、甲板のリノニウム部分をリノニウム色(茶色系)に塗装していきます。
リノニウムとは亜麻仁油に松ヤニやコルクを混ぜた人工木材床みたいなものです。
鉄の甲板だと熱くなるとか、滑り止めといった理由で多くの船の床部分利用されていました。
そういえば前回のジオラマを作っている時に、ある読者の方から「実際模型はどれくらいの大きさなんですか?」と尋ねられたので、今回は百円玉を並べて大きさを比較してみます。
船体と甲板を接着。
結構小さいことが分かりますかね。
元々小型な駆逐艦の1/700スケールの模型ですからこんなもんです。
それにしても部品が多い…
使う部品を見つけるだけで一苦労です。
簡単なメーカーの駆逐艦模型なら部品数はこの半分以下ですよ。
とはいえ、その分精密なので楽しく作業が出来ます。
次に組立てたのは、煙突部分。
これまた小さくてしかも部品数が多くて細かい!
それよりビックリしたのが思った以上に手のシワの彫りが深い!
船体に煙突部分と後部構造物を接着。
煙突の後ろに構造物を設置。
更に色々載せていきます。
1. 12.7cm連装砲塔
2. 艦橋
3. 魚雷発射管
これらを載せる事で、一気に軍艦らしさが出てきます。
次は、砲塔に砲身を着けます。
そして煙突上部を黒に塗装すればその姿はもう完全に軍艦です。
次の写真が今回の最後です。
マストや細かい部分の接着をしていきます。
そして船体や細部、そしてはみ出した部分を軍艦色(灰色)で塗装します。
まだ載せていない物とかあるんですが、塗装の都合上取りあえずここまで。
大体の基本塗装が出来ました。
今回はここで終了。
戦艦や空母みたいに大型ではないのでそれらと比べてしまうと少々頼りない感じですが、スマートで綺麗な船だと思います。
でもよく見てると小さい船体の上に結構な重武装でイカつい印象も受けるかも?
このペースだとまた『中編』と『後編』の全3パートになってしまいますね。
次回はこの基本塗装にリアルな質感を与えていきます。
さて次回はいつになるかな!!!!!
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