Piakanaの日記

音大ピアノ科卒。クラシック、ポップス、ジャズさまざま弾いています。音楽の事、日常の事など不定期投稿していきます。YouTubeに動画投稿していますのでリンク欄からご覧下さい。

合唱コンクール

最近、合唱コンクールの伴奏をする機会を頂きまして、数年振りに教壇に上がる僕なわけですが。


正直、あまり合唱コンクールって良い思い出がなくて。

特に中学生の時は、色々あって本当に嫌でした。
というか中学時代全体が好きではない。

以前も書きましたが、『スポーツできる』『勉強できる』『ヤンキー』が中学3大陽キャ要素で、それに一つも当てはまらない僕は結構苦痛でした。

大人になってから振り返ってみると中学生って本当に難しい多感なお年頃です。
一人の子を見ていると「お、こいつそんな大人な考えしてるんだ。」と思えば「なんでそんなガキみたいなことするんだ。」というのが入り混じっています。
教育実習や教壇に立っていた頃、そんなギャップを1番感じたのは中学生です。

「自分が楽しかった時期の先生になりたい!」

「もう一度子どもたちと青春を分かち合いたい!」って人はどうぞなってくださいって感じですが、自分が好きではなかった時期の教師に自分がなった所で、楽しめるわけないだろうなあと思い早々に撤退。

僕は中学・高校の音楽の教員免許は持っていますが、ただのペーパーティーチャーです。
でも、持ってれば何かと就職や転職で便利なので教職履修を続けるか辞めるか悩んでる学生は絶対取っておいた方が良いです。


話は逸れましたが、大人しい中学生ぴあかな君は唯一周りと違うことができる。それがピアノ演奏でした。
ぴあかな君は中学2,3年生の時に合唱コンクールのピアノ伴奏を担当しました。渋々ね。
音楽教師(通称ゴミゴリラ)の事も大嫌いで本当はやりたくなかったんです。
何故ならピアノ伴奏をする=そのゴミゴリラとも個人的に話さなければいけなくなる機会が増えるから。
まあ後から知った話、周りからの評判も悪い教師で、逆に僕が教壇に立つようになってから反面教師にしてやりましたけど。
自分の持ってる吹奏楽部と部員だけを大切にして、授業や他の生徒は蔑ろにするタイプのゴミゴリラです。

中学のクラス分けというのはピアノを弾ける生徒を必ず均等に配置します。
そうでもしないと合唱コンクールが成立しなくなるから。
僕のクラスには数人弾ける人がいました。
伴奏者を決める時、誰も手を上げないどころか普段大した会話もしないぴあかな君にそいつらが押し付けたのは今でも恨む案件。

 


そして、ゴミゴリラ以外にもう一つピアノ伴奏をやりたくなかった理由があります。
凄く偉そうな事を言ってると思われそうですが、

クラスの音楽に貢献したくなかった。



ピアノ伴奏者と言えば、指揮者と並びクラスの合唱クオリティの重要な一翼を担う存在です。
将来音大に行くくらいですから、僕は音楽が好き、ピアノが好きっていう中で育ってきた方だと思います。
からしっかりした音楽がやりたかった。
いや、周りの中学生にそこまでは要求しなくても、少なくともふざけた事をしたりする環境では音楽をしたくなかったと言うのがありました。

でも、残念な事に日本の学校って真面目にやる=恥ずかしいダサいみたいな風潮ってあるじゃないですか。

中学の時、中国から転校してきた張君という子がいました。
彼との交流は印象深いものが多くあり、他の事もいずれ書いていきたいと思います。
なんか僕と張君は馬が合って彼が我が家に遊びに来るくらい仲良くなったんですが、彼はとにかくめちゃくちゃ頭が良かった。
上手く説明出来ないんですが、日本人の頭が良いとはちょっとレベルが違った。
転校してきた時は、日本語が辿々しかったのに卒業する頃には僕の国語の偏差値を軽く超えていきましたからね。うんそれは僕の知能の問題。

張君は、日本語のハンデが少ない英語と数学が特にずば抜けていました。
英語の発音はもはやネイティブです。
しかし、そんな彼が英語の授業でネイティブな発音をすると周りは笑いました。
国語の漢文の授業で中国語で漢詩を読んでくれた時ですら周りは笑いました。
その後、張君は僕に「どうして日本人はここで笑うんだ?俺にはカッコつけてると言っているのが聞こえたぞ」と聞いてきましたが、上手く答えることは出来ませんでした。
ただ、凄く情け無く、そして恥ずかしかったのはよく覚えています。
僕は只々、彼の発音に感動して開いた口が塞がらない状態でした。まあ普段からボサーっと口開けてたんですけど。

今考えると、これは出る杭は打たれるの典型的な例ですね。
皆と違う事をすると恥ずかしいから、何か言われるから当たり障りのない大多数のやり方に同調するという日本人のあるあるですね。
大陸の競争社会だと、そんな思考で生きていたらあっという間に埋もれてしまうから張君は全く周りになびきませんでしたし、ハングリー精神も異常に強かったです。

この我々の同調圧力は音楽の授業でも見事に発揮されて、声は出さねえ、楽器は吹かねえ、なんか真面目にやろうとしてる奴に対し意味もなくニヤニヤしてる。
そんな事が罷り通っており、そしてゴミゴリラの事もあり、僕はそもそも音楽の授業が大嫌いでした。
そのように真面目に音楽に向かい合わない環境の中で僕はピアノを弾きたくなかったのです。

そのような理由から、僕は合唱コンクールの朝練、放課後練練習が行われる期間はクラスから距離を取っていました。いや嘘つきました。普段から距離は離れていました。

朝練とか放課後練習って面倒くさいじゃないですか。

もはやテンプレ化している「男子歌ってー!」とでしゃばる女子。
ヒステリックに泣き叫ぶ女子。
それでもふざけて真面目に歌わない男子。
真面目に歌う人を茶化そうとする視線。
それが全く改善されない毎日。

僕はそんな環境の中で大好きな音楽に触れているのが嫌で嫌で堪りませんでした。



そんなある日、音楽の授業以外はピアノが使えず伴奏が録音されてるCD(カラオケ音源)で皆練習していたのでぴあかな君は、
「あれ?ピアノ使えないんだったら朝練と放課後練に俺いらんやん」と閃いてしまいました。
そこで、ある日を境に朝練には参加せず遅刻ギリギリに登校。だって眠いんだもん。
放課後練習もラジカセは僕がセットして帰宅。
これだけでも凄く協力している気でいました。

実際、家に帰ってからは放課後の練習時間以上に伴奏練習はしていましたし、難癖をつけられる筋合いはありません。

そんな事を何回も繰り返していたある日、指揮者の玉野さんから話があると言われました。
これがまたゴミゴリラの息がかかってる吹奏楽部の女でして、ゴミゴリラには指揮と伴奏が合わないところを全て伴奏のせいにされていました。
単純な4拍子も振れないで伴奏と指揮がずれて首傾げ始めたのはおめーだろって時ですら、伴奏が悪いと言う東京裁判ばりの判決が出た事もあります。

玉野さんは皆が放課後練で並び始めている中、帰ろうとしているぴあかな君を引き留めました。
「ぴあかな君、最近どうして朝練にも放課後練にもこないの?皆練習頑張ってるんだけど。」
普段なら用事があるとかハムスターが逃げたとか犬が死にそうだからとか適当な事言って逃げていたんですが、ここ最近は東京裁判判決等、理不尽な扱いを受けたぴあかな君は合唱に関して相当ご機嫌斜め。
特に『皆練習頑張ってるんだけど』の言葉が完全にアウトでした。


皆頑張ってるって言ってる割に、男子は歌わねえは女子もそれ見てヘラヘラしてるわ、こいつは何を見て皆頑張ってると言ってんだと目ん玉と脳みそを疑いましたが、ここはグッと堪えます。


「いや、僕も家に帰って伴奏の練習してるから。音楽の授業や本番でしっかり弾きたいから。それはクラスの合唱にとって大切な事じゃない?」

僕は怒りを抑えて角が立たないような理由を言いましたが玉野さんは


「みんなで一つの気持ちにならなきゃいけないのにどうして帰っちゃうの?」
と、なんかよくわかんない事を言い出しました。どこぞの教祖かよ。

普段大人しいぴあかな君なので、少し語気を強めればびびって練習出てくるよね的なスタンスで向かって来たんだと思います。
でも僕は一つの気持ちにならなきゃいけないと言う部分に、僕のピアノ練習の時間及び伴奏が全く考慮されていないというように捉え、謎の怒りスイッチが入ってしまいました。

「ちょっ待てよ。それじゃあ僕がやってる伴奏とその為の練習時間はこのクラスの合唱の為のものじゃないって言いてえのかよ。」

まさかの反撃に玉野さんもびっくり。
そしてクラスの注目も集まり始めます。
こここここここんなつもりじゃなかったのに。

緊張してキムタクみたいになってしまったじゃないか。

「そうは言ってないけど、みんな朝早く来たり、放課後残って練習してるのに、ぴあかな君は伴奏者だからって歌わないで帰るのはなんか違わない?」

「違わない!だって僕は帰ってから伴奏を練習しているから。それが僕のやるべき事だから。この合唱の為に費やしてる場所と時間が違うだけでクラスの合唱には参加してる。」

文章でこそハッキリ言っているように見えますが、実際人前で喋り慣れても怒り慣れてもいない根暗くんです。脚もガクガク震えてます。

「だって…みんな頑張ってるのに…みんなで頑張らなきゃいけないのに…」
玉野さん、涙目。意味がわかりません。
何人かの取り巻きが玉野さんの側に寄ってきて、そして僕に対して敵意剥き出しの視線を送ります。
今思えば、この辺りで双方適当に謝れば良かったんでしょうけど当時は、折れる事の知らない2人でした。
それからは、女子特有の結託からのぴあかな君叩きが始まり、ぴあかな君も遂に自衛戦争に踏み切ります。

「さっき玉野さん良い事言ったよ。みんなで1つにならなきゃいけないんだよ。謝りなよ」取り巻きの筒井さんがしゃしゃり出てきます。
意味わかんねーよAV嬢と同姓同名のくせに。
このAV嬢に言われてぴあかな君の堪忍袋の緒が切れました。

「このクラスの歌を見て聞いてどこが1つになれると思うんだよ!こんなクオリティじゃ伴奏者どころかラジカセの音源様にも失礼だ。全部の時間が無駄なんだよ。大体クラスを1つにしたいんなら不登校の吉良さんにも電話かけてお前が引っ張り出して参加させろよ!早くやれよ!」

吉良さんもまさかのとばっちり。
ヒトラーもびっくりな大暴論です。

この日の練習は中止。

玉野ご一行様は職員室に僕をチクりに、僕はそそくさと家路につきました。
早く部活に行きたかった男子達からは感謝されましたが、僕がこのクラスで音楽をしたくないのはそいつらの不真面目さがほぼ原因なので嬉しくもありません。

翌日、担任に何か言われたような気がしましたが特に覚えていません。

あーまーわかるけど言い過ぎは注意ね?程度の話だったと思います。
ただそれ以降、朝練、放課練習に関して誰からも何も言われなくなったので、担任が上手く話をつけてくれたのかなと思っています。
その後、玉野さんとはたまに業務上のやり取りをしましたがAV嬢を筆頭とする取り巻きからは総スカン。
元々総スカンされてるみたいなポジションだったので、それに気づいたのはクラス替えをしてから人伝にでしたが。さすが陰キャですっ☆
 


とまあ中学生にありがちな衝突をぴあかな君も経験したという話です。
大人なら話し合いをして妥協点を見つけ歩み寄るべき所ですが、子供と大人の狭間にいる中学生ですからそれは難しい所。
しかし、そういう経験を経て少しずつ大人へなっていくものだと思います。


それで言うと平成初期型の僕ですが未だに子供っぽい所があり過ぎるのかなと。
でも意外と皆子供のまま…?大人を演じてるだけ…なのかな?と最近感じています。
つまり大人を演じられる事が大人になったと言う事か?

とはいえ、やはり子ども達は大人を大人として見てきます。
中学生に限らず、子ども達の前に立つ時はゴミゴリラにならないように誰に対しても平等に接していく事を心掛けていきたいものです。