「ねえ、ぴあかな君だよね。これあげるから書いて渡してね。」
初めて入った高校の教室で、彼女は笑顔で1枚の紙を僕に渡してそう言った。
まだ緊張感の漂う入学式の後の出来事である。
視線を手に移すと、それは可愛いキャラクターが描かれたメモ用紙のような紙だった。
女子とまともに話した事のない僕は、その唐突な出来事に気が動転してしまいすぐに言葉が出てこず、そうしている間に彼女は颯爽と立ち去ってしまった。
僕は、お礼の一言すら言えず、彼女の背中を見て呆然と立ち尽くす事しか出来なかった。
目の前に残る彼女の柔軟剤の匂いが、何も言えなかった僕の不甲斐なさをより一層虚しく引き立てた。
青春ドラマのような書き出しをしましたが、そんな彼女はデーブ大久保にそっくりでした。
別に悪く言っているわけではありません。
ルッキズムに厳しいこのご時世。
相手の容姿をとやかく言うのは御法度な風潮が強まってきています。
しかし、当ブログでは分かりやすく伝えたいという事をモットーにしていますのでオブラートに包みつつ真実を伝えます。わからない方は検索して下さい。ここに画像を貼ると多分この記事のサムネイルがデーブ大久保になってしまう。
重ねて言います。別に悪く言っているわけではありません。
街頭インタビューで「この人はあるタレントの御息女です。さて誰の御息女でしょうか」と100人に聞いた場合、100人全員が口を揃えてデーブ大久保と言うね。
もうオブラートに包んでも包みきれない。
餡を包み込むのに失敗した餃子や肉まんみたいに餡の主張が激しい位のデーブ大久保。なんかもうよくわかんない。
彼女に渡された紙の正体は『プロフィール帳』。
プロフ帳と呼ばれていた物です。
中身は色々な質問が書いてあり、それを書いて渡して来た相手に返すといった物。
・お名前は?
・お誕生日は?
・好きな食べ物は?
といったオーソドックスな質問から
・告白したこと、された事ある?
・早く結婚したい?
・初〇〇はいつ?
といった初対面の相手に渡すには、貞操概念のかけらもクソもないような質問まで用意されているプロフ帳もありました。
「ああ、そんな物もあったわ』と、新年度に交換を楽しんだ思い出のある方もいるかもしれません。
今思えば、プロフ帳をきっかけに相手のことを知って仲良くなろうと思う純粋な人がいる反面、実は相手の事なんて大してどうでも良くて、自分に返って来た枚数でクラス内でのステータスを確立しようとしてたんじゃねーのって人も少なくなかったかと思います。
高校入学時、女子から10数枚プロフ帳を貰いましたが、「こんな根暗なぴあかな君にまで渡すなんてポイント稼ぎに決まってら。お前らのステータス向上の糧になんか絶対なってやるもんか」という僕の歪んだ反骨精神が発揮されて1枚も返しませんでした。
案の定、デーブ大久保は入学式に見境無くプロフ帳をばら撒き、後日「見てー!私15枚も返ってきたー!◯◯ちゃんは何枚ー?うそー?それだけー?私の方が5枚多いー」とまるで遊戯王のレアカードを自慢するかの如く大声で話していました。お前はプロ野球選手カードにでもなっとけ。
こういうのって、卒業アルバムの最後の白いページを大勢の人に書いてもらい、如何に空白を埋められるかにステータスを感じる人のそれと同じような現象だと思います。
仲の良い人同士書き合うのは青春の思い出として素晴らしい交流だと思うので否定する気は全くありません。実際僕も高校の卒業アルバムにしていました。
しかし、今まで一言も話したような相手にその時だけマウントを取るように馴れ馴れしく話しかけ、ただのスタンプラリーの駅と化させてしまうのは如何な物かと。
ちょっと失礼なんじゃないのかなって僕は捉えてしまうんですね。
ちなみにド陰キャな中学生のぴあかな君は、卒業アルバムを初めて手に取り白いページを見た時、
「ははっ!落丁してらぁ!」と鼻で笑いすぐにカバンにしまったんですが、すぐにみんなが書き合いを初めてそのページの意味を理解。慌てて机にアルバムを出し直したんですが、こんな陰キャが受け身だけで恩恵を受けられる訳がありません。
そして、ぴあかな君の卒業アルバムは汚れる事なく純白の身を見事に守り抜いたのでした。
新しい環境に適応するのが苦手、増してや人見知りと来たものだから、僕は春が結構苦手なんですよね。
社会人になっても3〜4月は苦手。何かごちゃごちゃした仕事が増えるし、新人が来たり職場や部署の異動があったり何かと気が休まる事がありません。
しかし、音楽で言うと春というのはやはり穏やかな明るい曲が多い物。
寒い冬を乗り越え暖かくなり、新しい植物が芽吹き動物が活発に動き出す。
そんな春の訪れを喜ぶ曲は古今東西作られています。
有名な物では、鑑賞曲の定番にもなってるA.ヴィヴァルディ(1678-1741)作曲の「春」~ヴァイオリン協奏曲集『和声と創意への試み』(1725年作曲)です。
もはや聴いた事無い人はいないのではないのでしょうか。
中学校の音楽鑑賞の授業で聴いたよって人も多いかと思います。
ぴあかなも教育実習に行った時、この曲で鑑賞の授業をしました。
何故、鑑賞曲として取り上げられるかについては様々な要因があると思いますが、いくつか挙げるとすれば、以下の点が挙げられます。
①:「協奏曲」の概念を学ぶ
合奏パートとソロパートの交代が明確。つまり協奏曲のルールが非常にわかりやすい。
②:簡素な旋律で親しみやすい
始めて聴いた人でもすぐに口ずさめるようなメロディーラインが多いです。
③:「ソネット(短い詩)」が添えられていてイメージしやすい。
「春」、意外にも「夏」、「秋」、「冬」があるのですが、そのどの部分にも情景を説明するような短い詩が付いています。その詩も一緒に見ることによって、音楽をより深くイメージする事が出来ます。
少し専門的な話をすると詩と音楽の融合というのは、19世紀になってから大きく発展します。それはロマン派音楽の時代に『標題音楽』という形になって現れます。
すごく簡単な言い方をすると作曲者が「みんな!俺が見てきた風景や絵を、そしてそのソウルを曲にしたから聴いてくれ!」ってやつです。
音楽以外の処からインスピレーションを受けて音楽とリンクさせるという手法。
ベルリオーズやリストが代表的です。
ちなみに、これに対して「え…そんな他の力借りひんでも音楽の魅力だけで曲作ろうや」という『絶対音楽』を掲げる派閥も出てきます。
ブラームスが代表的です。
そして19世紀にはこの『標題音楽派』と『絶対音楽派』がバチバチにぶつかり合うんですが、それを今書くとまたブログ最長記録を優に超してしまうので今回は封印。
話を戻すと、バロック音楽の時代に生きていたヴィヴァルディは、100年以上時代を先取って『標題音楽』の試みをしていたと言えるでしょう。
日本の歌曲だと、爽やかに描写されている事が多い「夏」ですが、ヴィヴァルディの「夏」は全体が短調で荒々しい曲想でまとめられています。
嵐、稲妻、雷鳴、雹等の自然現象が猛威を振るう表現がされています。
欧州の夏は天候が荒れやすいというイメージがあるのでしょうか。
「秋」は全体的に明るく(一部短調な部分あり)「冬」はベースは短調ですが、春の訪れを感じさせる後半等、やや長調に転じる部分もあります。
「夏」部分の描写を見ると、ヴィヴァルディがイメージする夏と、我々がイメージする夏は相当かけ離れているように感じます。
それは、地理や気候的な特徴、夏=バカンスと言う習慣がない時代的な背景等に起因していると考えられます。
夏休みの概念もない、冷房も扇風機もないからめっちゃ暑い、天気もめっちゃ荒れて農作物に大ダメージが入る。それなら夏に対するイメージが悪くなるのも納得です。
当時でも、冬なら火を焚いたり着込んだりすればある程度の温度調節は出来るけど、そうはいかない夏は厳しいものがあったんだろうな、とか。ソネットに加え当時の情景や人々の生活感を自分なりに考えてみるのも鑑賞の1つの楽しみ方であると思います。
それにしても今年の夏は暑いのが続きましたね。
マジで暑かった。
夏という四季を感じ取るどころか、自分の死期を感じ取れそうなくらい暑かった。
今週になってやっと涼しくなって来ましたが、誰かさんが小さい秋みつけたなんて言う間もなく、すぐ冬になってしまいそう。
9月に入ってからも熱中症で搬送なんてニュースを耳にします。
室内での脱水症状とかもあるそうですから、温度への意識はいつでも油断することが出来ません。
まだまだ気をつけていきましょう。