一段落の正しい読みは『いちだんらく』だそうです。
僕も含め、結構『ひとだんらく』と言っているのを耳にします。
『いち』っていうのが本来なんだって。
少し調べてみたら、NHKも『いちだんらく』
Web上の辞書で調べてみても『ひとだんらく』は話し言葉では近年使われるが、本来は誤りとの事です。
言葉の確認の為に辞書をひくという行為ですが、
中学校の時に国語の小山先生がこう言いました。
「最近は、電子辞書で安易に言葉が調べられますが、出来るだけ紙の辞書を使って調べるようにしましょう。」
そこで普段から小山先生に反抗しまくってる相田君は反論します。
「電子辞書で調べた方が早く調べられますので便利でーす。じゃあ先生は今から僕の言う言葉を電子辞書より早く検索できるんですかー。」と煽り散らかします。
しかし小山先生は何手も上手。
「電子辞書は、検索した言葉しか調べられませんよね?紙の辞書でひけば調べたかった言葉の前後左右、そして同じページにある知らない言葉も目に入り自然にそこから語彙が増えていくんですよね。将来電子辞書を早く引ける能力と語彙の多さはどっちが大切になるかわかる?」
赤子の手を捻るが如く捻じ伏せました。
僕はそのやり取りをアホみたいに口を開けながら「わー先生さすがだなー」と感嘆していたわけなんですが、それから20年近く経った今でも結構覚えている事なんですよね。
ドイツ語を勉強していた時に、紙媒体の辞書をメインで使っていたのはこのやり取りを覚えていたからなのかもしれないです。
しかも、小山先生のこの発言が発端か定かではありませんが、この時期にクラスではあるゲームがトレンドになっていました。
その名も【検索レース】
どういうゲームかというと、2~4人で集まって一人が親役になります。
残った子役達はそれぞれ辞書を一冊ずつ閉じたまま待機。
そして親役がテキトーに何か単語を言います。
本当になんでも良いんですけど、例えば親役が『国語辞典』と言ったら各々の辞書を開き、『国語辞典』の項目を見つけてその隣にある言葉を言います。
それを1番早く言えた子役が勝ちという紙媒体辞書の特性を最大限に利用した検索スピードを競い合うクソゲーです。
因みに『国語辞典』が親ワードだった場合、『ごくごく』とか『国債』なんかが正解になります。
こういうゲームが流行った事に小山先生もご満悦。
小山先生に楯突いていた相田君も皆と楽しくゲームに参加している様子です。
皆、笑顔だ!
いやー良かった良かった。
一段落だ。
しかし、流行り物は廃り物というのは良く言ったものでこの一世を風靡していた【検索レース】、急速に衰退の道を歩んでいく事となります。
何が起きたか。
【検索レース】のゲーム特性を利用して、卑猥な単語を相手に言わせるといったプレイが横行し始めたのです。
いつも親役になると親ワードとして『ブラジル』という単語しか言わなくなった村田君というとてつもないエロ男子がいました。
で、親ワードとして『ブラジル』を提示するとその隣には『ブラジャー』という単語があるんですよ。
察しの良い方ならお気づきかもしれませんが、村田君は相手に『ブラジャー』という単語を言わせたいが為に執拗に『ブラジル』を繰り出し続けます。
周りも最初は「やめろよーw」みたいな感じでふざけていたんですが、あまりにも村田君がしつこいので少々距離をとられ始めていたんですね。
陰で『ブラジャー村田』って呼ばれるくらいに。
洋服の青山、竹本ピアノ、みたいな流れでブラジャーと言えばもう『ブラジャー村田』が肩を並べるところまで来ていましたね。
しかも、このブラジャー村田。相手に『ブラジャー』と言わせた後、
「え?何だって??もう一回言って?聞こえなーーーーい」とか
「正解にしたいんだけど、意味までちゃんと読んでーはやくはやく」
と、相手を煽るスキルが異常に高かったのです。
そして遂に『ブラジャー』だけにとどまらず、更にエグい下ネタに誘導するような出題を繰り返していたので、とうとう皆の輪からブラジャー村田は除外されてしまいました。
まるでホックが外されたように友達との距離感は離れていったのです。
その頃から【検索レース】は『検索レース=エロい』みたいな方程式が確立されてしまいます。
最盛期は男女問わず盛り上がっていたのに、そこからわずか数日で男同士で【検索レース】をしていると女子から白い目で見られる始末。
栄光からの急転直下。
そして二度と日の目を浴びる事がなかった【検索レース】。
邪な心をなくしてプレイすれば結構勉強にもなるしいいと思うんだけどな-。
ちなみに僕はこの頃からブラジャー村田の入れ知恵で色々とエロボキャブラリーを増やしていくのでありました。
で、ここまで約1900字書いたところで驚いて下さい。
これ本題じゃないんですよ。
あくまでここで一段落。
表題に書いた一段落は、なにもブラジャー村田の事を書きたかったわけではないんですよ。
昨日、起こったある一段落ついた出来事を書こうとしていました。
それが何かというと、このブログでも書いていた僕の再三に渡る闘病記事がここで一段落ついたという事です。
上の過去記事をまとめると…
・2023年11月 尿管結石常習者(3か月に1度くらいの痛み&排石)
↓
・年1くらいでクリニック受診
↓
・さすがに頻度やばくね?と大病院紹介
↓
・大病院受診&緊急手術(腎不全一歩手前)両腎臓に計3個の大きな結石あり。
↓
・2023年11~12月 膀胱から両腎臓にかけて医療器具(ステント)入れたまま自宅療養
↓
・2023年12月 入院&手術(第1ラウンド)
↓
・退院
↓
・膀胱から両腎臓にかけて医療器具(ステント)入れたまま自宅療養
↓
・入院&手術(第2ラウンド)
↓
・退院
↓
・2023年12~1月 膀胱から左の腎臓にかけて医療器具(ステント)入れたまま自宅療養
(右ステントは第二ラウンドで除去済み)
↓
・外来処置←1/19 昨日終わった!
一連の治療が終了し、遂に僕の体内には結石が1つも存在しない事が確認されました。
いやー完全に甘く見てましたね。
想像してたより強いラスボスにぶち当たったんですよ。
終わった!とか清々しく書いてますけど昨日も地獄でしたからね。
2023/11/7の『闘病と安静』の記事に書いたのとほぼ同等の痛みを受けてきました。
この時の手術は、尿道に内視鏡を入れて加えて膀胱→腎臓にかけて1本ずつ、計2本のステント(尿道確保の医療器具)を挿入していくというもの。
これが全身麻酔じゃないからバチくそ痛い。
今これ書いて思い出すだけでも手から脂汗が出てくるくらい。
以前も書きましたが、今まで生きてきた中で最も痛い医療行為だと言っても過言ではない程。
その後、昨年12月に腎臓の手術を2回に分けて受けました(1回につき1個の腎臓手術)。
12月のは全身麻酔だったんで手術自体は痛くなかったんですけど、今回のラスボスは左腎臓に残ったステントを除去するというもの。全身麻酔ではなく。
マジでステント挿入する時の痛みがトラウマ級なので、入院している時から担当医に何回も確認したんですね。
「最初のステント入れるときのがマジで痛かったんですけど、抜くときも痛いんすか?」
と尋ねると担当医は
「大丈夫だよ。痛くないしすぐ終わるよ。ステント入れる時は硬い内視鏡だったけど今度は柔らかいのでやるから安心してね。当日は外来で簡単にできるよ。痛くしないから」
と言われていたんですよ。
医学知識が0の僕はそんな言葉真に受けちゃうじゃないですか。
でもやっぱりもう本当に恐怖でしかなくて、1月19日は前日からお通夜モード。
多分、10年以上連れ添った愛犬が死んだ時より沈んでた。
当日ももうパニックですよ。
しかし、妻や両親までも病院に来てくれる手前もう行かないわけにはいかなくて…
病院に着きレントゲンを撮ります。
結石が全くありません。
治療は無事成功です。
しかし、そのレントゲンには膀胱から左腎臓にかけて忌まわしきステントの影がしっかりと映っていたのです。
前回、右腎臓にあるステントの除去は、左腎臓の手術ついでで全身麻酔中の出来事なので全く問題なかったのですが、今回はそうはいかない。
改めてこんなでかい異物をなけなしの尿道に塗る痛み止めだけで取ろうというのだから、恐怖に慄くわけです。
でも僕は担当医の言葉を信じて診察を終えました。
どうやらステント挿入時みたいに手術室にも行かなくて良いようです。
診察室の隣にある処置室という部屋で実施します。
「あーやっぱり抜くだけだからそこまで大変じゃないのかな…?」
「前より痛くないよ。」という担当医の言葉と、処置室という簡易な部屋のイメージが僕の緊張を僅かながらの安堵に導いてくれます。
処置室の前で妻と両親と名前が呼ばれるのを待ちます。
本当に診察室と同じドア一枚を隔てた普通の部屋です。
「ぴあかなさん」
名前が呼ばれるのと同時に処置室のドアが開きました。
そこには手術室とまるで同じ設備が整っているではないですか。
舐めていた。
完全に舐めていた。
手術室ではないという事で勝手に軽いものだろうと期待を抱いていた僕がバカだった。
そして僕はまた11月と同じように仰向けで開脚セクシーポーズを取らされるのでした。
いやもうそこからは11月と変わらず激痛で。
内視鏡が、そしてステントが動く度に「いってーーーーーーーーー!」と絶叫する始末。
11月の時は隣に若い看護師がいて、「もう少しですよ!」「力入れないで!頑張って!」「ゆっくり吸って~~はいて~」とか言ってくれて多少なりとも気休めになったんですね。
今回もその声援が欲しい!
しかし、今回は僕の隣には誰もいない。
下半身と上半身の間はカーテンで仕切られているので僕サイドには誰もいない。
これはさすがに不安すぎる!
誰でも良いから看護師さんにいて欲しいと注文するとしっかり応えてくれましたよ。
いや、正確にはしっかりすぎる対応だったんです。
カーテンを開けてなんかめちゃくちゃいかついおばちゃんが出てきた。
ほら!あたしが来たからもう問題ないわよ!!と言わんばかりの貫禄のあるクレアおばさんみたいなのが。
野球で言えば9回こいつにマウンド任せれば絶対大丈夫やろっていう守護神みたいなのが、カーテンの奥から僕の隣に放たれたんですよ。
しかも、前回のような患者を安心させるような声がけじゃなくて
「ほら!呼吸!呼吸!!」
「脚力入ってんだってばさ!」
「まだ終わらんよー!!」
「まだここから痛いからねー!!!!」
とかいう軍曹スタイル。
依頼した身で身勝手なの承知で言うけど、もう少し適切な声がけはなかったんですかね。まだ終わらんよーってあんた…
事前に看護師から「ステント抜く時はするっといっちゃいますから!」
なんて言われましたけどステントの動き的にどうやら順調にいっていない模様。
まるでスーパーのお菓子売り場で泣きじゃくる子どもの手を無理矢理引っ張りながら一進一退の格闘している親子のようです。
全く一筋縄じゃいかねーじゃねえか先生よお!!
ステントが体内でズズズッと動くので徐々にゴールに近づいていっているのはわかるんですが、そのスライドの度に声を抑えられない程の激痛です。
半分くらいまで来た時でしょうか。
「あーりゃ…ギチギチだわ…」
担当医から漏れたこの一言。
僕は思わず耳を疑いました。
「先生まだあぁぁ!?」
咄嗟に叫んでいました。
「ごめんごめん!もう少しだから頑張って!」
とは、言われるものの本当に痛い。
マジで呼吸を正して落ち着いてなんていられません。
「ほら呼吸!!!呼吸!!!」
クレアおばさんはもうそれしか言いません。
前情報なんてもう二度と信じないぞ。
これじゃあ11月と大差ねえじゃねえか!
でもそうキレている暇もありません。
その激痛スライドが数回続き
遂に先生が
「もう抜けるよ!がんばった!」
という先生の声がけと最後の激痛と共に、急に異物が取り除かれた感覚が下半身に起こりました。
「終わったーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!」
この僕の勝ち鬨の声は、処置室の扉を突き破り外で待っていた妻や両親の耳にも届いたそうです。
この声は今回のステント除去だけではなく、11月から約2ヶ月半に渡って繰り広げられた僕と結石の戦いに終止符を打った咆哮です。
まあ終わってからは痛くて暫く起き上がれなかったですけど。
先生が除去したステントを見せてくれました。
ぱっと見スマホの充電ケーブル並みの太さと大きさだったので、その存在感にとても驚きました。
こんなん体に2本入れたまま2ヶ月過ごしてたんだから、そりゃあずっと調子悪いわけだよね。常時血尿だし。
先生に御礼を言い、
とりあえず経過観察という事で、また痛みがあったらすぐ診察。
そうでなくても半年スパンで検査をしていこうという事になりました。
採血や結石の分析からも特に身体に異常があるわけでもないそうで、やはり遺伝、体質、生活習慣等に原因があるとしか言えないようです。
遺伝、体質はどうにも出来ないので、担当医に言われたように日頃から『体を動かす』『水分を多めに取る』『夕飯を夜遅くに食べない』と、結石が作らないような生活習慣をより意識していこうと思いました。
もう二度とステント生活はしたくないので。挿入、除去込みで。
病院を出てからは、妻と両親と食事。
快気祝い(?)
まだセクシーポーズの代償で背中と足が痛いのと排尿時の激痛があるので完治と言うには早いですが…ようやく一息
家族の支えがあったからこそなんとか一通りの治療を済ませられたので感謝の気持ちしかありません。
その他にも、Twitterや当ブログのコメント欄等でご心配して下さった方々。
本当にありがとうございます。
日常生活に戻るにはもう少し時間が掛かりそうですが、ここまで来る過程の中で皆様のコメントは、とても励みになりました。
不定期ですが、こんな感じで引き続きブログやYouTube動画をやっていきたいと思いますので、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
なんとか一段落のご報告でした。
ぴあかなオブジョイトイ