およそ人体を治療する上では想像し難い工業的な音と振動が口腔内から頭全体に響き渡りました。
平成初期型のぴあかな。
生涯2本目の親知らず抜歯です。
抜歯の発端はただ何となく歯科検診してもらおうかなーという気持ちでした。
暫く歯医者でクリーニングをしてもらっていなかったですし、会社の健康診断でも歯科検診は無かったので。
自慢じゃありませんが、生まれてこの方虫歯というものを経験した事がなく、今回も歯石取ってすぐ終わりだろーとか高を括っていたんですね。
いつも通りの歯科検診。
先生に向けて口を開き歯を見てもらいます。
「何番から何番まで斜線〜」
斜線とは何も問題の無い歯の事です。
フハハハッ!私は虫歯とは無縁の人生なのだよ!早く帰ってネトゲやりてーとか思ってたら
「左上奥 C」
何やら聞き慣れない用語が出てきました。
Cって何?
ChallengeのC?
僕の奥歯はそんなチャレンジャー精神持って生えてきてんの?とか思ってたら
「左上の親知らずが虫歯ですね」
こうしてあっさり僕の虫歯無敗伝説にピリオドが打たれました。
いやこれには驚きましたね。絶対それは無いと思ってたもん。
左上の親知らずが周りの歯より低く生えていて、歯ブラシが届いていなかったいうのか医師の見解です。
今まで虫歯がなかった人でも親知らずと言うのは得てして虫歯になり易いものなんだそうです。
「この際だから抜いてしまいましょうか〜」と抜歯を勧められたので検討する事に。
即決は出来できませんでした。
だって痛そうじゃん。
実のところ僕は、5〜6年前に口の左下が痛み親知らずの抜歯をしています。
その親知らずは隣の奥歯に対して垂直に、まるで首を垂れるような形になっていたんです。しかもまだ生えてない。でも歯茎の中で隣の奥歯を圧迫してる。
およそ考えられる親知らず抜歯のパターンでは1番難航する治療だそうで、大学病院で全身麻酔の手術→入院を経て治療をしました。
まあ親知らず自体は歯茎を切り取った上で問題なく摘出できたんですけど、口の左下の痛みはその後も良くならず…結果的にその痛みはまた別の病だったんですね。抜歯損。
その話はいずれ別の機会で書いていきます。
話を今回の親知らずに戻すと、生え方も綺麗だし虫歯が進行してるから日帰りで抜いちゃいましょうということ。
日帰りでしかも30分くらいで出来ちゃうそうなので、僕の経験した抜歯とは大きく異なりお手軽な印象を受けました。
局所麻酔を打って歯を抜いてすぐ終わり。その後、痛みが出てもロキソニンで抑えればすぐに良くなっていくようですが、ここで大問題が発生。
【ぴあかな注射恐怖問題】
珍しい病気に罹ったことがあり、同年代の人よりおそらく通院しての採血や点滴が多いぴあかなですが、注射は苦手。
NHKニュースでコロナワクチン接種会場で人に注射針が刺される映像ですら無理。あんな映像を地上波で流したらいけません。
戦争映画やホラーゲームで臓器が飛び散るようなグロいシーンは全然大丈夫なのに不思議なものです。
日帰りの親知らず治療は局所麻酔を打って歯を抜きます。
それを聞いてまあ尻込みしちゃいまして。
また注射か…でも虫歯進んでるようだし…でも注射…でも虫歯…
こんな葛藤が続いてたんですけど、結局抜歯を決めました。
虫歯で痛い思いをするのは嫌。だったら最短で最小の痛みで解決できるうちにしてしまおうと考えたのです。
でも、局所麻酔効かなかったらどうしよう。スパイ映画の拷問のようにペンチで歯を抜いていくみたいな事にならないかなと豊かな想像力をここでも発揮していきます。
本当は先生、医者じゃなくて元ソ連国家保安委員会(通称:KGB)で、僕がお宅らの大統領がテレビに映ると「プッチンプリン」とかいつもくだらない事言ってる情報を耳にして大統領侮辱罪で「お前の歯を麻酔無しで全部抜いてやる!ハハハハハッ!!」なんて展開にならないかと、麻酔の注射をする直前まで考えていました。
「ちょっとチクっとしますね〜」
先生が言ったあとすぐに左上の歯茎に注射針の刺さる痛みを感じました。
顔めっちゃしかめちゃった。般若面みたいな顔になってたと思う。
先生よく笑わなかったと思う。
それからは、今日のブログの冒頭に書いた通り、まるで工事作業をするが如くゴリゴリミシミシ、ペンチみたいな器具で抜歯作業を行なっていきます。その作業自体に痛みはなかったのですが、先生が全体重をかけて踏ん張って抜こうとしてたので怖かった。
これ麻酔しなかったらマジで死ぬよなと麻酔の力に感謝すると共に口腔内の衝撃に戦慄していました。
抜歯した親知らずが横の作業台に置かれます。先生が少し席を外した時、僕は体を起こして抜いた歯を繁々と見つめていました。
思ったより虫歯が進行していたらしく歯の先端が黒ずんでいた事に驚きます。
意外と抜歯作業の時間短かったなーとかやっぱり親知らずデカいなーとか歯を見ながら思っていると
「そんなに気になりますか?なんならテイクアウトできますよ。」
と先生に言われました。
何故この歯が『親知らず』と言うのか調べたところ一説には、所謂『第三臼歯』と呼ばれるこの歯は、10代後半〜20代で生えてくる歯で、生えてくる頃には親が死んでいるから『親知らず』。昔の人は寿命が短かったからこの歯が生える頃にはもう親は死んでるよねって事で名前がついたという訳です。
少し悲しい由来ですよね。
そこで僕は閃きました。
僕の両親は幸せな事にまだまだ元気です。
そんな少し悲しい由来がある親知らずを見せる事により、親知らずが抜けるまで親子共々元気に過ごせたね!嬉しいね!いうほのぼのエピソードが生まれる。
実家には初めて抜けた乳歯を今でも保管してあるんだ。これもきっとひとつの親孝行になるぞと思い早速、家に持ち帰り写メって両親に送りました。
この写メを見て今日の実家の食卓は「息子の親知らずが見れるまで元気過ごせて良かったねーそういえば小さい頃は…」なんてしみじみとした思い出話に花を添えるアイテムになると思っていた矢先、返信が来ました。
一つくらい懐かしいエピソードが書いてあるかな?と思いメールを開くと
「写真で見ると気持ち悪い」
その春の日は、丁度桜の花が満開でした。
初めて制服というものに袖を通し、親子で校門をくぐった初めての登校です。
ぴあかなは地元の公立中学校に入学しました。
新しい環境に期待と不安を抱きながら…と言ってもそこに見える級友達の殆どは小学校から同じ釜の飯を食ってきた顔触れです。新鮮さには欠けていましたが、皆も制服を着ているのを見ると少し大人になったんだなという想いがあったのを覚えています。
中学生活が始まってみると、小学校とはえらい違いで色々と驚きました。
まず、クラス担任の先生はいるけど教科担任制で教科毎に教える先生が違うという事。ここが1番カルチャーショックだったのではないのでしょうか。
テストも小学校では単元毎にあったものが、中学では中間・期末テストに集約され回数は減ったけど範囲は広いといった変化もあります。
他には急に先輩というものに敬語で接さなければならないような環境が構築されている事。正直これに関しては完全に無視してましたね。
今でも30超えても毎週一緒にネトゲをする小学生からの親友がいます。
小学生の時、鼻水垂らしながら近所を散策して落ちてる棒をバスターソードに見立ててFFごっことかやってました。
彼とは毎日のように一緒に遊んで時には喧嘩をしたり、気づけば知らないうちに仲直りしたり。
今でも何でも腹を割って話せる数少ない親友の1人なんですが、彼は学年は一つ上だったんですよね。
誕生日的には数ヶ月のズレしかないんですが、僕と彼との間で4月を跨いでしまっているので。
いやいや、そんな奴に敬語なんて無理ですよ。相手を小馬鹿にするじゃれ合い方も1つのコミュニケーションだったのに今更口調を改めろなんて無理ですよ。
大体、仮に僕が4月生まれで、先輩は3月生まれ。どうして4月を境に区切られただけで僕は1ヶ月先に生まれただけの人に敬語で接さなければいけないのか。同じ学年にはもっと歳の離れた人もいるのに!
という歪んだ思想がこの時期ぴあかなに形成されます。
そもそも家族や親戚にも歳の離れた人が多くいる環境で育ってきたので同じ中学生なんかガキに見えていたんですね。
そんな斜に構えてるぴあかな君に出来る友達はそこまで多くありません。
少し話は逸れますが、中学生のモテ要素には『勉強ができる』『部活で活躍する』『ヤンキー』が入ってきます。
そのどれにも無縁なぴあかな君はただ図体がでかいだけの目立たない存在です。
勉強ができる、部活ができるでモテるはわかるんですがこの時期ってなんでヤンキー要素がモテるんですかね。
最近も悪い事をしている中学生を近所で見かけました。
彼らは、制服をだらしなく着こなし髪の毛を染め、自転車で2ケツをしながらタバコを吸っていました。きっと粋がって背伸びしようとしてるんでしょうが、その行為が体格と顔に似合わず滑稽に見えてしまします。
しかし、きっと彼らの中には「悪い事している俺かっけぇ!そんな奴等と一緒にいる俺らかっけぇ!!」といった謎の信念があるんですよね。
そういうのを見ると小学校高学年の時に仲が良くて毎日一緒に遊んでたリッキーとぽんやんが中学生になりヤンキーになっていってしまった過程を思い出し悲しくなります。
3人で毎日ケタケタ笑って我が家の犬と遊んだり64でゲームをしたり遊戯王とかしてたのに、彼らは中学生になり悪い系の先輩とつるみ始めました。
ぴあかな君は、中学に上がり控えめ君になっていたのでそんなことできませんでした。だから、彼らとの距離は日に日に離れていってしまいました。
ついこの間まで一緒に遊んでいた彼らは、眉毛が全部無くなり、ワイシャツはズボンから出すようになり、髪の毛は明るくツンツンになり、授業も真面目に聞かなくなくどころか教室から逃げ出したりするようになっていった。
休み時間にライターを自慢げに見せたり、彼らが授業中に逃げ出したトイレにはタバコの吸い殻が落ちていた。
そんな彼らを見ているのは辛かった。
どうしてこうなってしまったのか。
ついこないだまでのリッキーとぽんやん帰ってきてよ。といつも思っていました。
時の流れは残酷です。
遂に彼らとはその後連絡を取り合う仲にもならず、中学を卒業してから全くの音信不通でした。
しかし、数年前地元に帰った時、偶然コンビニから出てきたリッキーに遭遇しました。
10年以上会ってなくても店頭でお互いすぐ気付きました。
「うぉ!?ぴあかなじゃん!?」
「りっきー!?」
案の定、ゴリゴリのチャラ男でした。
全身に刺青を入れラッパーのような格好をした彼でしたが、たまたまサングラスを上げていたので顔が良く見えました。
小学校の頃から割と大人っぽい顔立ちだったので10年以上経ってもすぐにリッキーだとわかりました。向こうも僕にすぐ気づいてくれた。
話題は必然的にお互いの身の上話になります。
向こうは高校を中退して色々仕事を転々としてるけど、子供もいるよと言っていました。
その当時ぴあかなは、中学校で音楽の講師をしていました。
「今俺は中学校で子供達に音楽を教えてるよ。」そうリッキーに伝えると
「マジか!すげえな。そういえばぴあかなピアノ弾けたもんな!それにお父さんも先生だったもんな!後継いだのか!」
なんだこいつ意外と僕のこと覚えてくれてるのかと嬉しくなりました。
「そうだよ大変だよ。リッキーみたいな不真面目な奴がたくさんいて授業どころじゃないよ」と冗談まじりに言うと、リッキーが少し真面目な顔をして
「そうだよな。…あの時の俺らみたいなの相手にしてるんだから大変だよな。今思えば先生達に迷惑かけてたんだなって思うんだわ」
リッキー!大人になっている!
もうこいつは小6で「ぴあかな…分数って何だ?」って聞いてきたリッキーじゃない!
いや、分数は今でもわからんかもしれないがとにかく人として成長してるっ!
10分にも満たない再会時間でしたが、彼とのこの時間はものすごく印象に残っています。
「じゃあまたな。また会えたらいいな。」
そう言ってリッキーは派手な電飾の施されたハマーに乗り重低音の爆音を響かせながら夜の闇へと消えていきました。
何の話でしたっけ。
ぴあかな君の中学時代の話でした。
要は大して年も変わらないのに、急に上下関係作るようになるのに違和感を覚えていたと言う事。
なんか特に体育会系の部活に入った奴ら、皆ヘコヘコしてダサいなープークスクスとか思ってたんです。
しかし、そんなぴあかな君にも先輩の力に圧巻する出来事が起こります。
どこの中学校にもある行事だと思うんですが、我が校にも文化祭、体育祭、合唱コンクール、修学旅行等一般的なものはありました。
しかし公立中学校の文化祭なんてたかが知れてます。
ぴあかなは小さい頃から有名私立大学附属の文化祭に親と一緒に行っていたので、学校内を歩いて各クラスが営む模擬店やらイベントやらを堪能するもの!だと思っていたんですね。
そんなものを期待していたんですが、我が中学校の文化祭は全校生徒が体育館に押し込められ壇上で有志の演目を見させられたり、さっぶいクイズやビンゴ大会をやるだけ。
辛うじて3年生しか盛り上がらないゴミイベントでした。
体育祭や修学旅行なんてのは陽キャ用のイベントなのでぴあかな君には無縁です。
ぴあかな君はピアノが弾けたので唯一合唱コンクールは人とは少し違う事が出来る腕の見せ場。ただ音楽教師とウマが合わず生涯に渡るトラウマもこの時期に出来上がりました。この件に関しても今回は割愛。
中学1年生の時の合唱コンクール前だったと思うんですが、何やら3年生の先輩達が1年生に合唱を聴かせてくれるんだそう。
その時は「やった。授業が潰れる。聞いたフリして寝てれば良いや」とか思ってました。
大体2個年上なだけでそんな上手いわけないだろ。なんて鼻で笑いながら先輩達がホールに並ぶのを見ていました。
指揮者はスラッとしたテニス部の長身のイケメン君。
割と人気な人らしくてもうその時点で女子達がザワザワ。それを尻目に女ってのは浅はかだねーと完全に拗らせてるぴあかな君。もっと早くそれ治した方が良かったぞ。
その先輩達が歌ったのは
【親知らず子知らず】
とても悲しく、そして残酷な歌詞の歌です。
日本海に面した親不知・子不知という断崖絶壁が新潟県にあります。
その場所には苔むしたお地蔵様が立っていました。
嘗ては交通の要所であり難所でもあるこの海岸では犠牲者も多くその供養のために置かれたものだと思われます。
旅先にて病気になってしまった父親に会いに行く為にこの場所を通っていた母子がいました。
しかし、打ち寄せる日本海の荒波に母子は一瞬で飲み込まれてしまいます。
子供の名前を呼ぶ母。
母を呼ぶ子供の泣き声。
そんな2人の命を次々に奪ってしまった。
悲劇に抗おうとする2人を神はなぜ憎むのか。
そんな悲劇があっても自然は何事も無かったかのようにいつもの情景を繰り返す。
そんな感じの歌詞だったと思います。
中学生には少し刺激が強すぎるんじゃないかって思う程。
いや、多感な時期の中学生だからこそ余計に響く歌詞なのか。
3年生の合唱。メチャクチャ感動した。
当時、歌詞の意味は全て理解できなくても泣きながら歌ってる先輩もいたし、聞いてるこちら側も泣いている子がいた。
あのリッキーですら真剣な眼差しで聴いていた。
空いた口が塞がらないとはこの事で、ぴあかな君も終わってから拍手をするのも忘れる程、そのレベルの違いをまざまざと感じたのです。
大人になった今から見てみたら中学生て皆同じに見えますが、実際この時期の2年差は大きいですね。男女共に大人の体型になり声も良く出るようになります。特に男子は変声期を終えた子が増えしっかりとした男声になり混声合唱の良さが際立ちます。
きっとこのクラスの合唱を見て私達も2年後、先輩達みたいな素敵な合唱ができるようになりたい!なんて思った子は多かったと思います。割と無関心だった僕ですらそう思ったんですから。
それから20年近く経った今でもこの時のことは良く覚えています。
大して楽しい思い出がなかった中学生活の中で、数少ない印象に残っている話です。
親知らずの話から、そんなことを思い出して書きました。
麻酔が切れてきた。
痛み止め飲んで寝ます。
しかし麻酔の注射怖かったし痛かったなー。
麻酔の注射に効く痛くない麻酔の注射とか開発されねーかな。